周囲との乖離に気がつく

 

ツイッター(現X)で

「職場で先輩に理不尽な注意を受けた。休憩室に避難して泣いた後、衝動的に部屋をめちゃくちゃにしてしまった。壁を蹴ったりテーブルの上をぐちゃぐちゃにした。その後父親が呼びだされて、いま店長と話をしている」

みたいなツイートを見かけた。

リプ欄には励ましの言葉がいっぱいあったけど、引用RTには「障害持ちだろうから手帳取った方がいい」「はずれを引いた職場先の人がかわいそう」みたいな言葉の方が多かった。

 

自分はこのツイートに「まあそういうこともあるよな~」と共感する側だった。

さすがに実行に移したりはしないけど、的外れな注意をされて何もかも嫌になるのは自分もたびたびあるし。

元ツイートでは、どんな注意のされ方をしたのかとか、それまでの流れがもっと細かく書かれていたので余計に共感した。

自分の行動を悪く捉えられて(さぼってるとか手を抜いてるだとか勘違いされて)注意されると、それまで積み重ねてきた努力や気遣いが無駄になったような気持ちになるのも分かる。

自分なりに頑張って仕事を覚えようとしてきたのに、それは無いものとして映ってたんだなと落胆もするし。

 

でもこのツイート周辺で得た気づきとして、「この思考回路が悪いのではなく、それを実行に移してしまったことが悪い」みたいな主張が多かったのが意外だった。

こういう他責的&ひとりよがりな考え方自体が恥というか、ちゃんとした社会人はこんな風に考えたりはしないんだろうな、自分は社会人失格だな、という内省を今までしてきたタイプなので、そこにびっくりしてしまった。

 

こんな被害妄想じみた考え方をしてる人なんてこの職場で自分だけだろうなと劣等感を抱えながら働いてきたのに、意外とそうでもなかったのか。

世の中の「ちゃんとした」社会人って、注意されたら真剣に反省するし、あいてのことを悪く思わない人ばかりなんだろうなって思ってた。

でも「気に食わないことはあるけれど、どうにか自分の中で折り合いをつけて頑張ってる」人の方が多いんだな。

 

なんかADHDとか発達の人って、無意識化で性善説を推してる人が多いらしく「ちゃんとした仕事の最中なのに、わざわざ中学生みたいな嫌がらせをするわけがない」みたいな判断を相手に当てはめる人が多いらしい。

「この人は真剣な気持ちで叱ってくれているのだろう」(実際は難癖付けてパワハラしたいだけ)みたいな歪な信頼を相手に向ける事例が多くて、これはわたしにもけっこう当てはまるから割と共感してた。

それが今回の気づきにもめっちゃ似てるなって。

自分以外の世の中の人間って、思ってたより潔癖じゃないし他責的で性悪なんだなとようやくわかったような気がする。

 

おわり