思考の言語化とは

 

デリコズ・ナーサリー

最近よく見ているアニメのファンアートを描いた。

 

自分はアニメに限らず、好きな実況動画のファンアートを描くのも好きなんだけど、そもそも「なぜファンアートを描こうと思えるのか」という問いへの答えがうまく言語化できない。

 

ドラマとか映画とか好きな作品ができても、それを「二次小説を書こう!」とか「ファンアートを描こう!」って方向に昇華するタイプの人間って全人口から見ると絶対少ないはずなんですよね。

自分の周りがオタクばっかりなので意外と忘れがちなんですけど。

だからそうじゃない一般の人たちにとって、好きな作品ができたから絵にする!って行動が割と意味不明なんじゃないかとたまに思う。

 

自作のほとんどは、評価が数値化できる場所(ピクシブなど)には投稿してないので、他者からの評価はそこまでモチベにはなっていないと思う(それでも褒めてもらうとやっぱり嬉しい)

自分の絵がきっかけでファンアート元の作品が広まってくれるのも嬉しいけど、そこまでの拡散力がある出来ではないのでこれもあまり当てはまってない気がする。

 

そう考えると自分がファンアートを描く理由って「これが好きだと再認識できる」ところだと思えてきた。

わざわざその作品の絵を描き上げるのって、その時間と手間の対価が分かりやすくこの世に生産されてるわけじゃん。

なんか物質的な報酬がこの世に生み出される趣味って実際あんまりない気がする。

 

あと、絵を描いたときに無意識のうちに採用していたキャラのポーズとか表情を見て、自分はこのキャラのこういうところが好きなのか、って発見できるのも楽しい(今のところ自分の画力が低すぎて、描きたいポーズ・表情を完璧に再現できてるとはいえないけれど)

 

でもファンアートを描くときの一番の楽しさは、「自分が手間と時間を費やしてまで、ファンアートを描きたいと思えるくらい好きな作品がこの世にあるんだ」って思えるところにあると思う。

自分の人生の豊かさを再認識するというか……(うまく言語化できない)

継続視聴したいと思えるアニメに出会えたのってまどマギとかサウスパーク以来なので、この楽しさが今期が終わるまでずっと続いてくれるのが幸せすぎる。

噛みしめていきたいですわね~。

 

おわり